HISTORY ARCHIVE of 5daysはこちら

DAY1 | 2014年11月21日(金)

SPECIAL GUESTS

  • NAMBA69
  • アルカラ
  • J

DAY2 | 2014年11月22日(土)

SPECIAL GUESTS

  • FULLSCRATCH
  • OVER ARM THROW
  • The BONEZ
  • J

DAY3 | 2014年11月23日(日)

SPECIAL GUESTS

  • AA=
  • TOTALFAT
  • J

DAY4 | 2014年11月24日(月・祝)

SPECIAL GUESTS

  • [Alexandros]
  • RADIOTS
  • J

DAY5 | 2014年11月25日(火)

THANK YOU, SOLD OUT!!
J

TICKET

9月27日より各プレイガイドにて全国一斉発売

※ [DAY5] 最終日11月25日公演、チケット完売致しました。

ACCESS

赤坂ブリッツ

所在地:東京都港区赤坂5-3-2 赤坂サカス内

地下鉄をご利用の方
東京メトロ 千代田線 「赤坂駅」から直結
東京メトロ 銀座線・丸の内線 「赤坂見附駅」10番出口より徒歩8分
東京メトロ 銀座線・南北線 「溜池山王駅」7番・10番出口より徒歩7分
新幹線をご利用の方
東京駅より
東京駅(東京メトロ丸ノ内線)→大手町駅(東京メトロ千代田線)→赤坂駅
東京駅(徒歩)→二重橋前駅(東京メトロ千代田線)→赤坂駅
品川駅より
品川駅(JR山手線)→原宿駅(徒歩)→明治神宮前駅
(東京メトロ千代田線)→赤坂駅
品川駅(JR東海道本線)→新橋駅(東京メトロ銀座線)→溜池山王駅(徒歩)
→国会議事堂前(東京メトロ千代田線)→赤坂駅
★溜池山王駅からは徒歩でもお越し頂けます。

HISTORY

2002年

J SHIBUYA-AX 5DAYS 5 CRAZY 5

  • 7月8日@SHIBUYA-AX w/ FULLGAIN
  • 7月9日@SHIBUYA-AX w/ DICE
  • 7月10日@SHIBUYA-AX w/ Youjeen
  • 7月11日@SHIBUYA-AX w/ POLYSICS
  • 7月12日@SHIBUYA-AX (one-man)

2004年

J SHIBUYA-AX 5DAYS RED OR DEAD

  • 9月19日@SHIBUYA-AX w/ LUNKHEAD
  • 9月20日@SHIBUYA-AX w/ FUZZY CONTROL
  • 9月21日@SHIBUYA-AX w/ DICE
  • 9月22日@SHIBUYA-AX w/ Cherry Filter (from korea)
  • 9月23日@SHIBUYA-AX (one-man)

2007年

J 10th Anniversary SPECIAL LIVE SHIBUYA AX 5Days -ALL of URGE-

  • 10月3日@SHIBUYA-AX [PYRO Day]w/ SNAILRAMP
  • 10月4日@SHIBUYA-AX [BLOOD Day]w/ メリー
  • 10月5日@SHIBUYA-AX [Unstoppable Day]w/ 9mm Parabellum Bullet
  • 10月6日@SHIBUYA-AX [RED Day]w/ サスライメイカー、ロットングラフティー
  • 10月7日@SHIBUYA-AX [GLARING Day](one-man)

2011年

J 14th ANNIVERSARY SPECIAL LIVE Set FIRE Get HIGHER -FIRE HIGHER 2011-

  • 5月5日@SHIBUYA-AX w/ MASS OF THE FERMENTING DREGS、Northern19、石鹸屋
  • 5月6日@SHIBUYA-AX w/ Nothing's Carved In Stone、The Telephones
  • 5月7日@SHIBUYA-AX w/ 女王蜂、Fear, and Loathing in Las Vegas、avengers in sci-fi
  • 5月8日@SHIBUYA-AX w/ Pay money To my Pain、a flood of circle、the HIATUS
  • 5月9日@SHIBUYA-AX (one-man)
HISTORY ARCHIVE of  5days
FOURTEEN WAKE UP! MOTHER FUCKER

アルカラ

自称” ロック界の奇行師"。ギターロックやオルタナティブなどの音楽性を基調としながら 一筋縄でいかない自由奔放さで唯一無二の世界を築き上げている。
2013年9月から11月にかけて全国25ヶ所で行った「むにむになるままにJAPAN TOUR」は トータル約1万人を動員するなど、大成功をおさめた。
そして、昨年話題を呼んだアルカラが主催する「ネコフェス2014」の開催も発表となった。

NAMBA69

2010年3月からソロアーティストとして活動を続けてきた難波章浩が、2013年3月、K5 (Guitar) 、SAMBU (Drums)と共に3ピースバンド、"NAMBA69 (ナンバシックスティーナイン)"として活動を開始! PUNKSPRING、FUJI ROCK FES、京都大作戦などの大型イベントに立て続けに出演。
自主企画"PUNK ROCK THROUGH THE NIGHT"は各地ソールドアウトさせるなど、根強い人気を誇る。

FULLSCRATCH

ANDREW(Dr)
ANTON(Vo/Ba)
masasucks(Gu/asshole)
YOSHIHIRO(Gu/Cho)

OVER ARM THROW

菊池信也(Vo/Gt) 鈴野洋平(Ba/Cho) 寺本英司(Dr/Cho)

2003年横浜にて結成。2009年に現在のメンバーになる。
2013年10月3日に10周年を記念して、閉館前の横浜BLITZにてワンマンを行った。
前日の2013年10月2日にはFlying High/Machine Recordsより2nd Single ”will”と2nd DVD ”Hands –are all the sounds-“を同時リリース。
2014年3月、自身のマネージメント事務所「KEYWORLD」を設立。
現在までに合わせて2枚のアルバム、2枚のミニアルバム、2枚のシングル、2枚のDVDをリリースしており、常にライブハウスを中心にライブ活動を行っている。

The BONEZ

2011 年 11 月 11 日より始動した JESSE のマルチエンタテインメントプロジェクト “Stand Up! Project” を通じ、 翌年 11 月 11 日に結成されたロックバンド。ハードコア、オルタナ、エレクトロからフォーキー、ブラック コンテンポラリーまで多 彩な音楽性を展開。JESSE の疾走感・ドライブ感ある圧巻のヴォーカル、P.T.P を支える T$UYO$HI と ZAX のグルーブ溢れるリズムセクション 。ギタリストの NAKA こと中尾宣弘が加入した新体制にて、 2013~2014 年、怒濤のライブツアーを敢行。

AA=

『デジタルハードコアサウンドで世界に名を轟かせたモンスターバンド "THE MAD CAPSULEMARKETS"の司令塔。常に進化したサウンドで独自の音を作り続けるイノベーター。
2008年ソロプロジェクト"AA="を始動。BiS、BABYMETAL、椎名林檎など、他アーティストのプロデュースやアレンジ、リミックスワークも数多く手掛ける。2013年に連続リリースされたオリジナルスプリットアルバム「#」と「4」を経て、配信限定LIVEアルバム「Live#4 at LIQUIDROOM 20140209」発売中』

TOTALFAT

2000年バンド結成、初ライブを敢行。
The Offspring、Good Charlotte、NEW FOUND GLORY、SIMPLE  PLANなど幾多のバンドと共演を果たし、 圧巻のライブパフォーマンスで日本ロックシーンの「ネクストヒーロー」と注目されている。
豊富なアイデアが巧みに盛り込まれた楽曲群は、ロックが持つ爽快感、スピード、パワー、エモーショナルな衝動、メロディーで溢れている。

[Alexandros]

2007年本格始動。
これまでにアルバム4枚を発表しリリースツアーは全てソールドアウト。
2014年3月28日に開催された日本武道館単独公演も即日ソールドアウト。
6月18日に待望のニューシングル「Adventure / Droshky!」を発表。
日本を代表するロックバンドとして注目の4人組。

RADIOTS

RADIOTSは、RADIO+IDIOT+RIOTの造語。
文字通り常にアンテナを張って自分等のサウンドのためにはバカにもなれるRADIOTSは そうして刺激とエナジーを爆裂させて、彼等しかないライヴで皆とRIOTを起こし続けている!
最新3rdアルバム"REBELS"発売中。

女王蜂

2009年結成。独創的かつ衝撃的なパフォーマンスが音楽界のみならず各方面で話題騒然となり2011年メジャーデビュー。デビュー盤収録「デスコ」が映画『モテキ』のメインテーマに起用、本人役で映画にも出演し、話題・実力共に音楽シーンを席巻。約1年間の活動休止期間を経て、2014年2月より活動を再開。2014年8月8日@東京キネマ倶楽部での単独公演も決定し、現在ライブを中心に精力的に活動中。

J

1992年 LUNA SEAのベーシストとしてメジャーテビュー。
1997年 LUNA SEAの活動休止を機にソロ活動を開始。
2000年 12月東京ドーム公演にてLUNA SEA終幕後、本格的にソロ活動を再開。
ex.GUNS'N'ROSES(現Velvet Revolver)のダフ・マッケイガンや、ex.SEX PISTOLSのスティーブ・ジョーンズ、THE CULTなどを招いたライブイベント「FIRE WIRE」、初のアリーナオールスタンディングによる日本武道館公演、過去4回に渡って開催されたSHIBUYA-AX 5DAYS等、独自のスタイルでのライブ活動を展開。
その間、数々の作品を世に送り出し、2013年10月には、自身9作目となるオリジナル・フル・アルバム「FREEDOM No.9」がリリースされた。

【2002】

さらなる理想を求めながら、画期的5DAYS公演スタート!

JがSHIBUYA-AXでの5DAYS公演という大胆かつ無謀な試みを初めて実践したのは、今から12年前にあたる2002年夏のこと。すでにコア・ファン以外からも「とにかくJは、ライヴが凄まじいらしい」といった認識を獲得し始めていた頃のことだ。当時発売されたばかりだったライヴ映像作品、『FILM THE BLOOD MUZIK 80min.RIOT』もそうした傾向に拍車をかけるものだったが、この『5 CRAZY 5』(当然ながら“go crazy go”と読む)と銘打たれた灼熱の五夜公演もまた、そうした世の認知をいっそう広げることになったといえる。

その開催に先立ってのインタビューのなかで、J自身は次のように語っている。

「自分たちのために何かを作っていく、自分たちのために何かを守っていくんだってこと。そういうことが現実になっていくんじゃないかって気がする。たとえば目の前にブームみたいなものがあったとき、そこに乗っかれば話は早いし簡単かもしれないけど、それは自分たちで作ったものじゃないでしょ? 新たな波を起こす瞬間というのを俺たちはまだまだ味わえるはずだし、いつだってそれを作れるはず。そこがロックのひとつの醍醐味だとも思うんだよね」

そうした熱い思いを抱えながらも、やはり初の試みであるだけに、J自身のなかにも不確かな部分というのがありはした。しかし「何が起こるかわからない」ことを認めつつも、「だからこそ自分でも楽しみなんだけど」と笑顔で言えてしまうのがこの男なのだ。

この年、Jとステージを共にしたのはFULLGAIN(7月8日)、DICE(9日)、Youjeen(10日)、そしてPOLYSICS(11日)。対バン形式でのライヴを四夜重ねたのちに、第五夜をワンマン公演で締め括るという儀式の形式も、この時点で生まれていた。FULLGAINとDICE、Youjeenが、2001年にJ自身とZilchの共謀により開催された『FIRE WIRE TOUR 2001-BURN SEVEN CITIES BURN-』に登場していたこと、そしてYoujeenがJの全面バックアップのもとでデビューしたことをファンの多くは記憶していることだろう。そうした意味においては、この最初の五夜公演は、どこか“Jファミリー”的な匂いのする成り立ちだったともいえるが、明らかに活動フィールドの異なるPOLYSICSの起用などは、あらかじめこの場がジャンル無用のものであることを象徴していた。この『5 GRAZY 5』こそが、のちに多くのアーティストたちが企画/実践してきた異種格闘技的イベントの先駆けでもあったと言っていいはずだ。

この五夜公演のチケットは発売当日に完売となり、ファンの期待度がどれほどの高まりを見せていたかを裏付けていた。そして最後の夜のステージ終了後、Jは「自分がこれまで経験したことのない熱を味わったし、これから目指していくべき場所が確実に見えた。早くそこに向かいたい」と語っている。そう、『5 CRAZY 5』は、2002年のロック・シーンにとって画期的な事件であったと同時に、Jがさらなる理想を求めていくうえでの記念すべき第一歩だったのである。

増田勇一

【2004】

自分自身の限界に躊躇なく挑んだ、2年ぶりの灼熱の五夜。

SHIBUYA-AXでの5DAYSの機会がふたたび訪れたのは、2004年9月のこと。Jはその年の5月にアルバム『RED ROOM』を発表しているが、それ以前の作品とは一線を画する作風で彼の世界観の奥深さを体現していたこの作品が完成に至る頃には、すでに彼自身の脳内には“2年ぶりの無謀な試み”に向けての青写真があったという。同年夏、彼は次のように語っている。

「観たい人全員が観に来られるような環境を作りたかったし、俺がカッコいいなと思う若手のバンドたちをみんなに紹介できる機会にもなる。いろんな意味を持つライヴであると同時に当然ながら真剣勝負でもあるし、5日間通して観てもらっても絶対に飽きさせないものにできる自信があるから」

実はこのアルバム発表に伴うツアー中、Jは、7月17日の富山公演の際に声帯が腫れて声が出なくなるというアクシデントに見舞われている。が、それでも安全な道を選ぼうとはしないのが彼であり、実際、5DAYSに向かおうとする決意にも揺らぎはなかった。「それでもフルショットで行くしかない。そういうギリギリのところでこの5日間をぶち抜くことができたら、また新しい何かが見えるのかなと思う」という発言は、いかにも彼らしいとしか言いようがない。

9月19日から23日にかけて行なわれたこの年の五夜公演にも、さまざまなゲストが招かれた。第一回からの継続出演となったDICE、J自身が「ジャンルは違うかもしれないけど、すごくいいメロディを持ってるし、そこに渦巻いてる熱については同じ匂いを感じる」と語っていたLUNKHEAD、さらには「異常だよね、あの若さで」というJなりの賛辞を引き出していたFUZZY CONTROL、そしてYoujeen率いるCHERRY FILTER。韓国で活躍する彼女が自らのホームであるバンドとともに登場を果たしたのだった。そして最終日は、Jのワンマン公演。彼は毎晩、演奏メニューを変えながら、自らの音楽の多面性を見せつけることに成功していた。公演終了後のインタビューには、次のような発言もみられる。

「ハードでヘヴィなバンドだと解釈されてると思うけど、そこは一面に過ぎないというか、そこに行き着くまでのいろんな要素もある。前回から2年を経て、アルバムも2枚出して、より奥に進んでいったところで見られる景色を楽しめるようになったわけで。そこで単なる色分けじゃない次元で、しかも古いのも新しいのも関係ないところで、今の俺の世界ってものをよりバランスよく披露できたと思う」

Jはゲストたちからも刺激をもらい、この5DAYSを終えた翌々日にはレコーディングを開始。そこで録られたうちの1曲である「MY WAY」は、同年12月22日に発売されたベスト・アルバム『Blast List-the best of-』に収録されている。二度目の5DAYSとベスト・アルバム発表をもって、ひとつの節目を超えようとしていたJ。しかしながら、彼にはその場に立ち止まるつもりなどあるはずもなかった。彼は、次のように語っている。

「俺が走れて、いろんな可能性をみんなに提示することができるなんなら、それはそれで面白いと思う。そういう意味では、俺の身体が持つかぎりは10日間だろうが20日間だろうが走ればいいのかな、と(笑)。とりあえず俺は、走れるうちは走るからさ。それを利用できると思うやつは利用すればいいと思う。そしてまた、新しい波を起こすんだよ」

【2007】

ソロ始動10周年の節目に証明された、絶対的な揺るぎなさ。

前回の開催から丸3年を経た2007年10月、通算3度目となるSHIBUYA-AXでの5DAYS公演が巡ってきた。この年にスペシャル・ゲストとして登場したのはSNAIL RAMP(10月3日)、MERRY(4日)、9mm Parabellum Bullet(5日)、そしてJが当時立ち上げたレーベル、INFERNOから作品をリリースしていたサスライメイカーとロットングラフティー(6日)という顔ぶれ。いずれもゲストというよりは刺客。Jと真っ向からの直球勝負に挑み、まさに火に油を注いでいた。蛇足を承知で書き添えておくならば、5日目のファイナルは慣例通りJ自身のワンマン公演として開催されている。

この年のJのライヴ・パフォーマンスの特徴は、各々の夜に『PYRO Day』、『BLOOD Day』、『Unstoppable Day』、『RED Day』、そして『GLARING Day』といった具合に、当時の最新作にあたる『URGE』に至るまでに発表されてきたアルバムの表題にちなんだタイトルが掲げられていたことだろう。改めて説明するまでもなく、各公演においてJは、各々のアルバムを主体とするセットリストによるライヴ・パフォーマンスを披露し、過去すべての作品が『URGE』における自分自身に繋がっていることを証明してみせた。この5夜公演自体のタイトルに掲げられた『ALL of URGE』が意味するのも、まさにそうした事実だったのだ。彼は、この5日間を経たのちのインタビューのなかで、次のように語っている。

「たとえば初日の『PYRO Day』の場合、実は今やっていることとすごく近しい部分が『PYROMANIA』当時にあったんじゃないかって、自分でもライヴをやりながら感じてた。あのアルバムを軸にしつつ、最新作の『URGE』からの曲をどこに置いても違和感がないんだよね。むしろ逆に、『URGE』の曲たちをいっそう浮き彫りにしてくれたというか、際立たせてくれたというか。そういう意味ではなんか、完全にループしてるなと思えて。だからなんか、嬉しくなっちゃうんですよ。かつての自分がソロで最初に産み落としたアルバムが、今でもちゃんと自分の名刺として通用するものであり続けてるってことだし。スタート地点というか走り始めたポイントとして、すごく誇らしいアルバムだなと改めて思えましたね」

もちろんJが感慨をおぼえたのは『PYRO Day』についてだけではない。他の4夜にも、それぞれ再確認させられたこと、発見させられたことというのが彼にはあった。この2007年は、彼にとってソロ・デビュー10周年の記念すべき年でもあったわけだが、その節目にこうして5日間でのべ75曲を演奏しながらディケイドを総括し、“ブレを知らない自分”を実感できたことは、彼にとって大きな財産になったに違いない。

また、この10周年を象徴するものとしては、彼の歩んできた紆余曲折とある種の決意をを感じさせるバラード曲、「walk along」のシングル(チェコ・フィルハーモニー管弦楽団が参加)があるが、この年の末には、常にライヴ・ステージを主戦場としてきた彼にとって初めてのライヴ・アルバム、『THE LIVE-ALL of URGE』もリリースされている。まさにライヴ・ベストともいうべき内容のこの作品もまた、この男の信念の揺るぎなさを爆音で証明している。まだこの音源に触れていない人は今のうちに手に入れておくべきだろうし、Jのライヴを体験したことのない誰かに、彼がどんな人物であるかを伝えるうえでは、この作品こそが最適といえるかもしれない。

【2011】

記念すべき14周年の節目での再確認と、新たなる道程への決意。

常に“14”という数字を、自らを象徴するものとして提示してきたJにとって、2011年はソロ始動14周年という記念すべき年だった。が、それが単なるお祭り騒ぎのアニヴァーサリー・イヤーに終わったわけではないことは言うまでもない。

まずは1月、あの『PYROMANIA』が生まれた聖地ともいうべきロサンゼルスで録られたセルフ・カヴァー集、その名も『FOURTEEN』がリリースされている。さらに、2010年には『REBOOT』をキーワードとするLUNA SEAとしての活動も展開されていたわけだが、この年の3月にはインディーズ1stアルバムの『LUNA SEA』(1991年)の再レコーディング盤が登場。また、この2011年3月には東日本大震災が発生しているわけだが、ちょうどその時期に上演されていたのが、彼自身も出演していたミュージカル、『ピンクスパイダー』だった(ちょうどこの年はhideの13回忌でもあった)。Jがhideに対して抱き続けてきた敬愛の念の深さについてはこの場で述べるまでもないはずだが、こうしたさまざまな出来事のあった2011年は、まさに彼にとって、原点を見つめ直しながら自身を更新していくかのような節目の年となったといえるはずだ。

そして、そんなスペシャルな年をさらに特別なものにしていたのが、『Set FIRE Get HIGHER-FIER HIGHER 2011-』と銘打ちながら実践された、通算四度目となるSHIBUYA-AXでの5 DAYS公演だった。「どうやってこの顔ぶれを集めたんだ?」と言いたくなるようなキャスティングにもさらに拍車がかかり、あまりにも濃すぎる顔ぶれが名を連ねることになったが、当のJ自身はむしろ平然と「自分の目と耳で、今、本当に日本のロック・シーンを揺るがしてると思えるバンド、これからもっともっとぶっ飛んだ存在になるはずだと思えるバンドばかりを選んだ」と語っていた。

出演ラインナップについて振り返っておくと、まず公演初日の5月5日にJとステージを共にしたのはMASS OF THE FERMENTING DREGS、Northern 19に石鹸屋。6日にはNothing’s Curved In StoneとThe Telephones、7日にはavengers in sci-fiとFear,and Loathing in Las Vegasと女王蜂が登場し、さらに8日にはa flood of circleとPay money To my Pain、さらにはTHE HIATUSが顔を揃えた。もちろん慣例通り、最終夜の5月9日はJのワンマン・ライヴである。

連夜のライヴの熱さ、火に油を注ぎ続けるようなエスカレート具合のすごさについては改めて述べるまでもないが、筆者にはいまだに忘れられない光景がある。2階席の柵から身を乗り出し、少年のような眼差しをステージに向けながら騒ぎまくっていたPay money To my PainのKの姿だ。彼はこの際の共演を経たのち、「みんなも変にジャンルとかに限定されることなく楽しんじゃって欲しい。昔は“ラウド・バンド”とかってイキがって、前に出ていかなきゃみたいな気持ちがあったけど、今はそれを超えて、いい意味どうでもいいやと思ってて」と語り、Jに対し、「次回も是非誘ってください」と直訴している。Jは「次はP.T.Pが5DAYSをやればいいんだよ」と笑いつつもそれを受け入れているが、残念ながらその約束が果たされることはなかった。ご存知の通りKは、その翌年末に急逝している。

ステージを去る間際のJはいつも言う。「次に会うときまで、絶対にくたばるんじゃねえぞ!」と。それはオーディエンスばかりではなく、すべての同志たちに向けられた言葉だ。そしてこの5DAYS公演に限らず、ライヴ・ステージに臨む際の彼は、先に天に召されてしまった者たちも含めたさまざまな仲間たちの想いを背負っているのだ。

2014年11月、赤坂BLITZへと舞台を移して開催される、通算五回目の5DAYS公演。あなたの想いも、そこに思いきりぶつけてほしい。何にも邪魔されず、何にも躊躇することなく。